昨日の続きで 今日は 母の思い・・・ これは 学校の方から 提出して欲しいと言われ 書いた
そうです。
初めに・・・
夫の7ヶ月もの長い ガンとの闘いを側で見続けて来た 私は 「人間が、人間らしく死を迎える」
「人間の尊厳死」 について考えるようになりました。死のその時まで、病院で機器に管理
(つながれて)されて死を迎えるよりも、その死の間際まで ガンの痛みを管理してもらい
家族と一緒に 安らかな死が迎えられる「ホスピス」 の存在を考えるようになりました。
母の思い・・・
2002年 7月3日入院翌日「ガンの中でも進行の早いスキルス胃癌です。それも 末期で
す。長くて1年、短くて2.、3ヶ月」との医師からの宣告を受ける。 私は 頭が真っ白になり
医師の後の説明を どんなに聞いていたのか覚えていませんが、看護士さんが 私の両脇
を持ち支えてくれていたのを今でも ハッキリと思い出す事が出来ます。
夫には タイミングを見て私が話しました。 来る日も来る日も涙が流れて・・・
でも 夫の前では 涙は見せまい!と 心に決め ”スキルス”だとは 言わず、早期のガンやき
抗がん剤の治療がんばろう~!と励まし続けました。「生きていて欲しい!・助けてやりたい!」
と 涙を拳でぬぐい、その拳を笑顔に変えて明るく振舞いました。 抗がん剤の治療を始めて
夫の食欲は無くなり、食べ物の匂いをかぐだけでも 吐くようになりました。 それでも夫は
「食べんとよくならんき!」と言って無理矢理食べようとしては また吐く・・・そんな状態が
2週間程続いた、ある日 医師より「これ以上の抗がん剤治療は無理なので中止したい、後は
家に帰って家族と過ごしたりホスピスに行く事を考える方が良いと思います。」との話
私は 病院に 見放された思いがしました。それでもガンに対して何ら勉強をしていない
私は、これから夫と二人、そして子供達二人4人の家族でのガンとの闘いが、どれほど
壮絶でつらく悲しいものか知るよしもなく 病院でこのまま続けて治療をしてくれる事を
強く望みました。子供達三人で 夫の命・・・丸山ワクチンを東京まで、何回も取りに行き
ました。子供達も、夫の吐血を受け皿で受け、始末をして また吐血してもいい様に
夫の所にもって行き 「いつでも 吐きよ、お父さん頑張れ!」と見守る二人の息子・・・
今 思えば かわいそうな事をしたかなぁ~!と思いますが、私は 夫の事を息子たちには
絶対に忘れて貰いたくなかったのです。
母の思い出・・・
毎日を朝早くから夜遅くまで忙しくしていた夫と私・・・ 唯一の心の安らぎと言えば 毎年
お正月に徳島の貸別荘に行って過ごす事。 これは息子達にとっても唯一の思い出だと
思います。 それと 息子達が病室に交代で、泊まりに来た時に ベッドの上から 子供の頭を
何回も何回も 優しくなでていた事・・・ 夫は この時 どんな思いで 頭をなでていたんだろう・・・
と考えたら涙が出てきます。きっと 心の中では、「この子達の為に 死にたくない!
やり残した事が沢山ある!」と思っていたんだと思います。
亡くなった時・・・
人間の死は アッと言う間です。2003年1月18日午前10時過ぎ 夫の心拍数が、落ち始め
ました。直ぐに 妹の家で泊まっていた子供達に連絡を取り病室に戻りました。
夫に呼びかけました。「すぐ ヒロキとマサトが来るき、死んだらいかん!帰って来て!」
その声は、絶叫にも近かったんどろうと思いますが・・・ その呼びかけで、不思議な事に
夫の心拍数は元に戻りました。そして2人の息子が病室に入って来て 2人の声を聞きながら
意識の無い中 両目から涙を 一筋こぼしながら ス~っと息を引き取りました・・・
安らかな顔でした。
どんな思いで 子育てを・・・
それは 夫との約束です。 そばで 毎日毎日 どんどん全身 状態が悪くなって行く中で
夫は 死の覚悟をしました。その辛く 苦しい闘いを見ているうち ある日 私の方から
「一緒に死のうか?」というと 夫は 「どうやって死ぬ?」 つかさず「車で海に飛び込んで
二人で死のう!1人で死ぬのは怖いろう!」言った私に 夫は 少し時間を置き
「お前は死んだらいかん!二人の子供を立派に育ててから俺の所に来い!」と・・・
初めて二人で泣きました。 この夫との約束を 心に刻み 「よし!二人の子供を立派に
育てて来たで!」と 胸張って 夫の待つ天国へ行こうと強く心に決めました。それからも
色々と 辛い事・悲しい事・なんで~~?って思う子育ての中では ありましたが、心に決めた
事に対し 恥ずかしくならないように歯を食いしばって生きています。・・・・・・・・・・・・
もう少し文章は残っていますが 長くなりますので この辺で 作文は終わりにします。
義兄と姉の ガンに対する闘いを 傍で見ているだけの私でしたが、それは そうそうたる
出来事でした。その中でも いろんな諸事情が 出てきたりして・・・
義兄の事は 姉に任せ 自分は姉を守る!この思いでした。
両親を早くに亡くし 姉妹二人とそれぞれの家族だけでした。私は こんな事があって
良いのかと ・・・ 自分のたった1人の肉親の姉なのに・・・と 悔しい思いをしたことを
思い出します。 でも今は それぞれの子供達も成長し こらからは 姉とゆっくり 思い出話
などしながら 年老いて生きたいと思います。
2002年9月撮影
まだ 冗談も言いながら
ベッドに横になっていました。
何処が悪いんだろう?
と思うくらいでした。
亡くなる3日前の状態です。
どんな病いでも 進行性と
名がつくと 恐ろしく早いです。
※ 姉に 了解を得て 作文&投稿しました。
姉の思いは 苦しい事・辛い事・・・
世の中には まだまだ沢山ある、
自分達よりも もっと色んな事を
背負って生きている人達にも 元気になって欲しいと思っています。そして ゆっくりと
前を見て 歩いて行って欲しいと願っていると・・・・
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