7年前の今日 1月18日 義兄が進行性胃がんで他界・・・とても苦しい闘病生活を送っていま
した。昨日 姉の住む 実家に帰り 私たち姉妹の家族だけで 7年の法要を済ませてきました。
長いようでもあり、早いようでもあったと思います。 今日は その闘病生活を送った姉と次男
の書いた作文を書きたいと思います。これから書く作文は、現在中学校三年生の次男が
「一粒の涙」と題して書き その作文が 小砂丘(ささおか)賞の優秀賞に選ばれたんです。
小砂丘賞 [ささおかしょう] 戦前の高知県の小学校教師で「綴り方教育」に熱心だった「小砂
丘忠義」にちなんで設けられた作文の賞。 小・中学校を対象に作品を募集している。
「 一粒の涙 」
僕の父は、僕が小学校三年生の冬、2003年1月18日に亡くなった。
その日、いとこの家に居た僕達に 父のことで急な連絡が入り急いで兄と病院に行く事になっ
た。病院に着いて父の病室を開けると、衰弱し息をしているのかどうかさえ心配な父の姿が
あった。僕はひたすら声を掛けている母のそばに行き、父を見守った。母が、「お父さん
まさとが来たで、ひろきが来たで」と声を掛けると、父は開かない目を必死に開けようとした。
必死で僕達を見ようとするのが分かった。その時、父に僕たちの姿が見えたのか見えなかっ
たのかは分からないが、次の瞬間、父は一粒の涙を流した。そして数十秒後に息を引き取っ
た。 父の流した最後の一粒の涙には、色々な思いが込められていたと思う。もしあの時、
僕達の姿が見えていたなら、家族思いの父は、「もっといっぱい遊んで あげたかったなぁ」
と思ったのだろうか。逆にもし 僕達の姿が見えないままだったら、どうにかして僕達を見たい
一心で流した涙なのかも知れない。今となっては、父の一粒の涙に込められた思いを、
僕は想像するしかできないが、僕は今でも、父の心情に思いを馳せる事がある。
「マートントン」 この言葉は、一番僕が好きな言葉である。これは父がずっと僕を呼んでいた
呼び方である。朝早くから夜遅くまで、豆腐屋の仕事を頑張っていた父は、お風呂だけは
出来る限り一緒に入ってくれた。陽気な父は、いつもお風呂の中で僕達を笑わせてくれ、
一緒に歌を歌ったりした。「マートントン」という呼び名を思い出すたびに、この時の お風呂
の歌や光景が蘇り、僕をじんわり温かい気持ちにさせてくれる。父は、毎朝五時半から
起きて働き、遅くまで働き詰めだった。いつも父と触れ合う時間は お風呂の中しかなかった
ので、僕達が父とゆっくり出来るのは、お正月に家族旅行に行く時だけだった。
父と祖父母が作る豆腐は評判が良く、僕も毎日食べるけどおいしいといつも思う。
友達からも 「うちは マットんちの豆腐しか食べんで」と 良く聞き、そんな時は正直に嬉しい。
しかし この豆腐作りの重労働が父の体には、堪えていたのかもしれない。それでも父は、
豆腐作りが好きだったのだと思う。
十五歳になった僕は、初めて当時の母の想いを聞いてみた。 笑顔で頑張り通した母を
思うと、心から感謝とねぎらいの言葉を、一途に伝えたい。
「病室に泊まりに来たマサトの頭を何回も何回も優しく丁寧になでなでしよったがで。きっと
心の中では この子達の為に 死にたくない!と思いよったがやろうね。」と 温かく包み込む
ような笑顔で語った母の言葉を聞いて、父が可愛がってくれた事に心の底から嬉しく感じ
自然と涙が溢れ出して来た。母は さらに こんな事も語ってくれた。
「本当は 一度お父さんに 一緒に死のう・・・と言ったがよ。そしたら お父さんは 二人の子供
を 立派に育ててから 俺の所に来い!と言うて 初めて二人で泣いた。この約束があったき
、歯を喰いしばって生きて来たがで。」 それでも父が亡くなった後、悲しみに泣き続けていた
母に、僕は励ましの言葉を贈った。「僕をここまで 育ててくれてありがとう。いつも笑顔の
絶えないお母さんで居てください。」 この小さな紙切れのメッセージに
「”生”に対する息を吹き返した。」と 母は話してくれた。 母に笑顔が戻ったのは、僕にとって
何よりの宝物だ。
悲しみを乗り越え、明るく逞しく、向日葵のような笑顔で 僕達を育ててくれた母へ・・・
僕は いつも「お父さんなら こんな時どうするか」と考えながら成長していくきね。
お母さん いつまでも笑顔でいてね。
最後に 父にメッセージがあります。
「F1の M・シュマッハが引退したで(笑)。」
以上が 姉の次男が 書いた作文です。 長男も小学校の時に この小砂丘(ささおか)賞に
「僕んち豆腐や」という作文で 最優秀を頂きました。
壮絶な闘病生活・・・ 次回は 姉からの 母の思い・そして母の思い出を 投稿しようと
この、作文泣けるね( TOT)ウゥ
読んでいたら、昔を思い出すわ。。。
てか、載せてくれてありがと(>人<)
(初コメ)
投稿情報: Masato | 2009.01.18 20:52
masato! 初コメ!ありがとうね~!(〃^∇^)o_彡☆ 嬉しいよ!
楽しい事やつらい事 色々と経験すると 大人になって 後で思うと
全てが 自分のプラスになる事やから これからも ファイト~~!の
気持ちで 前を見て ゆっくりと歩いて行ってね!(〃^∇^)o_彡☆
んで もってまずは 高校入試やね!(〃^∇^)o_彡☆
がんばってや~~! ヾ(▽⌒*)
明日は 第2弾やきね!ヨロシクね! ヾ(▽⌒*)
投稿情報: まり | 2009.01.18 21:25
とても感動的な作文ですね!!
お父様、お母様を思う気持ち、素晴らしいです。
非常につらい別れだったでしょうが、お父様はいつも心の中に生き続けていることでしょう!!
感動しました。。
投稿情報: Michito | 2009.01.18 22:31
涙がでてきました。
お父さんはなんぼか心残りであった
ことでしょう。
その後おかあさんも女でひとつで
子育てにたいへんだったと思います。
しかし、その甲斐あって頼もしく
思いやりのある少年に成長しましたね。
これからおかあさんにも子供たちにも
お父さんのぶんまで幸せになって欲しいと
思います (*´∇`*)
投稿情報: やまとおのこ | 2009.01.19 08:48
まりちゃんが、甥ごさんたちを暖かく見守ってる様子が、以前の記事からも垣間見えましたが、お父様を亡くされてから7年・・・本当に真っ直ぐに、立派に成長されている様子が、この作文を見ただけでも伝ってきますね。
お姉さん、本当に上手に子育てされてますよね。(子育てという点では、先輩であるまりちゃんご夫婦の存在も大きいのでしょうね。)
お義兄様もきっと、お空の上で目を細めていることでしょう。
それにしても、ご兄弟で小砂丘(ささおか)賞を受賞されるなんて、素晴らしいことですね。
投稿情報: ゆきこ | 2009.01.19 12:25
こんにちは~! 辛かったと思います。
でも 素直に育ってくれています。
いまの思いを ずっと胸に抱いて行ってほしいですね。
綺麗な 岩木山でした。 露天風呂から 見えるなんて 最高でしょうね!
岩木山のふもとなんでしょうか? 山が大きくみえましたが・・・
もっと 雪が深いかと思ってましたが、少ない様にもみえますね。。。
投稿情報: michitoさんへ | 2009.01.19 16:55
やまとさん こんにちは~! 43歳でした。早すぎですよね。
でも 子供たちは 元気で 素直に育ってくれています。
次男も 今年は 高校生・・・ 頑張ってほしいですね。
投稿情報: やまとおのこさんへ | 2009.01.19 17:02
ゆきこちゃん こんにちは~!
この7年間 色んな事が ありました。
でも それなりに 2人の子供が 頑張っている姿を
見て 安心してますが、 まだまだこれからですね。
頑張って欲しいと思っています。
投稿情報: ゆきこちゃんへ | 2009.01.19 17:04
とても感動いたしました…映像ならこそ文章で、こんなにまで心をうつとは~じんわり、1粒以上…流してしまいました~中学生で、ここまで書く~すごいですね!つくづく教えられました…彼の将来が、とても楽しみです(^-^)/
投稿情報: 紋次郎 | 2009.01.19 19:13
紋次郎さん こんばんは! ありがとうございます。
そうですよね・・・ 私にとっては いつまでも 小学生と思っていた
あの子が もう中学三年生・・・そして 今年は 高校生に・・・
立派な子供に育ってくれました。
投稿情報: 木枯らし紋次郎さんへ | 2009.01.19 19:19